【コラム】「マニュアル」は誰がつくるもの?

連載 第2回 2009年12月29日

世の中のほとんどの事象には、少なからず誤解や先入観、バイアスがつきまといます。「マニュアル」についても同様。その代表的なものが「マニュアルは社内でつくるもの」ではないでしょうか。今回は、マニュアルは誰がつくるべきかを考えてみたいと思います。

社内でつくれば……

取扱説明書や業務マニュアルの案件が発生したとき、クライアント様から次のようなご意見をいただくことがあります。「いやぁ、マニュアルは社内の人間が書けばいいよ。内容をよく知っているし、費用がかからないし」。あるいは「上のほうから、マニュアルにそんなお金はかけられないよ、社内でつくれるだろう、と強く言われているんですよ」。わたしたちとしてはいつもの話題でなれているのですが、まずは深くうなずき、憂慮の表情を浮かべます。そして、次のようなお話をさせていただきます。

確かに、機器やソフトウェア、あるいは業務について精通しているのは、それを開発・担当している社員の方です。そこには明確な意図があり、それを順序立てて記述すればマニュアルはスムーズにできるに違いありません。また、自らマニュアルを作成することで、さらに機能や業務が改善されることも期待できるはずです。そしてさらに、社外への費用が発生しませんから、コスト的にも助かるはずです。

一方、その反面、次のようなデメリットも発生するのではないでしょうか。
まずは、担当者の方の業務が増えます。日常の業務に加えてマニュアルを書かなければならないのですから、その負担増はどれほどでしょう。担当者の本音は「マニュアルは余計な仕事」「これ以上、仕事を増やさないで」。積み重なる疲労とプレッシャーから、モチベーションを下げてしまうこともしばしば。さらに、日常業務と並行してのマニュアルづくりですから、なかなかスケジュールが守れず、進捗管理が難しくなります。
(ここまでお話すると、「マニュアルは社内で」と話されていた方も、苦笑いをされます)
さらに加えて、マニュアルをつくるための工数もばかになりません。担当者の方の残業や休日出勤が増えますから、人的コストはかなり増加するはずです。マニュアルに限らず、こうした「見えないコスト」が膨らんでしまうことはよくあるのではないでしょうか。
もうひとつ大切な視点は、マニュアルを作成・編集するには相応のスキルが必要なことです。製品や業務の内容をどれほど熟知していても、それをユーザーにわかりやすく、順序立てて記述するためのスキルがなければ、できあがったマニュアル自体が機能しないものになってしまいます。担当者がどれほど苦労し、残業しても、結果的に客観性に乏しく、見にくく、読みにくいマニュアルができあがってしまっては、本末転倒ではないでしょうか。
(ここまでくると、「マニュアルは社内で」と話されていた方も、大きくうなずいていただけます)

アウトソーシングすると……

では、マニュアルをわたしたちのような専門会社にアウトソーシングした場合はどうなるでしょう。まず気になるのは、予算が必要となることです(どれほど必要なのか、戦々恐々かもしれません)。
それから、わたしたちが製品や業務の内容を理解するための情報と時間が必要です。資料提供やヒアリング、内容確認(検収)といった作業はどうしても必要なプロセスで、担当者の方にある程度の時間と労力を割いていただかなければなりません。
しかし、こうした多少の負担の一方で、次のようなメリットが生まれるはずです。

 ●客観的記述による、わかりやすいマニュアルができる
 ●第三者による情報整理、構造化、編集等により、製品や業務の改善につながる可能性がある
 ●必要な費用が明確化され、進捗管理が容易である(契約通りの進行・納品)
 ●社内担当者の負担(時間的・精神的)の軽減と人的コストの抑制

ここまでお話をさせていただくと、ほとんどの場合、わたしたちの考え方をご理解いただけます。
(しかし、すぐにマニュアル作成をご発注いただけるわけではありません)

マニュアルは誰がつくるべきか……

マニュアルは誰がつくるべきかは、ケースバイケース。その時々の状況に応じて、もっともふさわしい人がつくるべき、という答えしかありません。大切なのは「マニュアルは社内でつくるべき」という一方的な先入観や誤解、バイアスを取り除き、アウトソーシングすることのメリットをしっかりご理解いただき、そのバランスを考慮していただくことだと思います。
費用や時間というビジネスで大前提となる要素はもちろん大切です。しかし、マニュアル作成は、それだけではなく、社内担当者のメンタルやモチベーション、あるいは読む人の立場に立ったアプローチなど、考慮しなければならないことがたくさんあります。それを伝え、理解を深めていただくことが、わたしたちの仕事の第一歩であると感じています。